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伝統工法の家づくり

はじめ

私の家は、私の祖父の祖父の時に建ち、私で五代目の住人になりました。

この家で暮らす事で、日本の気候風土の下で構造的な耐久性を維持し、家族から愛され永く住み継がれる家こそが、価値ある家だと想うようになりました。

その家は、建築基準法や建築士が存在しなかった戦前より、もっと古くから職人の手仕事で作られ続けてきた家で、100年を過ぎても古民家と愛される伝統的な日本の家。

その家は、自然に戻す方法を知らない材料を使い、時間によって暴かれゴミとなる家ではなく、自然に還る素材で作り、時間によって磨かれて家族の記憶の器となる家。

その家を作る唯一の方法は、構造即意匠の「真壁」で作る日本の伝統工法の家づくりです。
そして「真壁」に必要な要素が、「手刻み・土壁・石場建て」だと私は想っています。

構造即意匠の真壁

手刻み 土壁 石場建て

最後に

実は、私が建築の世界に入ったのは、2011年 31歳の時でした。

1990年代後半の高校時代に、レイチェルカーソンの「沈黙の春」に出会い、地球をこれ以上汚ごすわけにはいかない(笑)と思い、大学では化学の道に進みました。そこで、環境と経済との繋がりを目の当たりにして、私は22歳で金融機関に入社しました。そして8年間の会社勤めを辞めて、2010年 30歳で家族と岐阜の実家に戻りました。 当時結婚して2人の子供がいた私は、自分の夢は見失い(笑)、目標が家族となり子育てをしようと思って、田舎の実家に戻りました。

実家では父親が1人で建築の設計事務所を営んでいました。跡を継ぐ必要もなく強要されたわけでもなく、生活の為に消去法で設計でいこうと思った事が、建築の世界に入ったきっかけです。

建築を始めた頃は、知識や経験や資格を身に付ける為に苦労しました。しかし、そんな事がどうでもいい程苦労した事は「設計したい 作りたい 住みたい」と思える家が見つからなかった事でした。

2年目の大工さんが接着剤でくっついた集成材をボルト・金物で組み立てる大きなおもちゃのような構造体、直接触れると危険なので眼鏡とマスクと手袋をして施工する断熱材、家全体をビニールシートで覆って隙間はテープとコーキングで仕上げる小学生でも出来る防水工事、産業廃棄物であるプラスターボード等の建材で構成された完成時から産業廃棄物である現代工法の家。数十年後に解体する時に待っているものは、大量に発生するゴミそしてその処分費用。

ハウスメーカーと工務店と同じように設計事務所も、意匠(デザイン)の流行を追いかける。価格で勝負するのであれば一番安ければ良いのだが、そうでないなら意匠で気に入ってもらわなければならない。流行に早く乗るのが上手な人たちを建築家やデザイナーと呼ぶ。 こうしてデザインされた家は、竣工後5年過ぎれば陳腐化し飽きられて、10年後にはカビが生える。大きな違いは値段ぐらいで、色と形と間取りと便利な機能が変わる程度で、電化製品の買い物の延長線にある使い捨ての家。

私には、この競争の世界に入って勝ち残る能力はなく、自分が大切だと思う事を偽る度胸もない。
さて、どんな家を作ろうか、この先どうしたものか、 ・・・? 。そんな時期がありました。
今このページをご覧いただいている方も、同じ事を考えている、または考えたことがあるのではないでしょうか。私も皆さんと同じように、自分が心から良いと思える家を探しました。

さて、ここからは私が伝統工法に辿り着いた道のりです。

始まりは、私の暮らす実家の座敷です。