
住み継がれる家
「私の家」は、私の祖父の祖父が建てた「石場建ての家」で、私で5代目です。私はこの家で生まれ育ち、6代目となる子供たちが今この家で育っています。田の字の間取りに畳と障子、夏は扇風機、冬は炬燵とストーブで暮らしています。家の周りには、樫や椿や柿など古い木々の残る庭と畑や田んぼがあり、日々野良仕事をしながら暮らしています。
明治時代に名もなき大工が建てたこの家は、瓦を葺き替え調子の良くない所を直し続けることで、いつまでも住み続けることができます。木や土や草など自然の素材でつくられた呼吸する家は、私たちと一緒に育ち、味わい深い時間を与えてくれます。
古い石積みや礎石、苔生した地面や草木など昔からの土の中では菌糸や草木の根が張り、虫など生き物たちが住み着いています。多様な生き物たちが暮らすことで、土中の空気と水は循環します。そんな呼吸している土は、私たちに心地よいそよ風と季節を届けてくれるのです。
少し前まで、この愛おしい「私の家」の良さを、どう表現すれば他の人に伝えられるのかずっと探していました。自然の素材に包まれた心地よい家、汚れるではなく古びていく家、雑草も美しく見える自然の庭、永く持ち家族の記憶の器となる家と庭……、どれも間違ってはいませんが、それが住み継ぐ理由かと聞かれると、しっくりきませんでした。
しかし、最近ようやくぴったりの答えを見つけました。それは、「私の家」は、私に家や庭を育てる喜びを与えてくれるということです。
呼吸を止めないようつくられた家や土は、私たちが少し手をかけてあげることで、さらに呼吸を深め、時間をかけてゆっくり育っていきます。例えば、障子の貼り替え、廊下や柱梁の雑巾がけ、畳を上げて縁の下の掃除、ちょっとした日曜大工。木々の剪定や草刈り、雨落ちや素掘りの溝の手入れなど野良仕事。100年ものの家と土の深み、日々育っていく姿を眺める幸せ、そんな喜びを与えてくれるから、私は住み継いでいるのです。
建築の石場建て
私の建築のスタートは、2010年、30歳を過ぎてからでした。最初は現代工法の家づくりから始めましたが、試行錯誤の末、「私の家」のような「石場建ての家」に辿り着きました。
私がとくに大切にしていることは次の三つです。
一つ目は、100年先でも味わい深く育っていく家をつくるために、本物の自然の素材を使うこと。私が最初に関わった家は現代工法で、構成する素材ほぼすべてが工業製品でした。合板、集成材、断熱材、ビニール、プラスターボード、コンクリートなど、これらが数十年後にすべてゴミになるかもしれないと思うとゾッとしました。また、これらの建材は体に悪い影響を与える可能性があり、家中を換気する義務があることにも驚きました。
人に害を与えず自然に戻すことができる素材、そして呼吸し生きている素材。これらの素材だけで家をつくるためには、素材の特性を心得た職人の手仕事が必要でした。
二つ目は、100年先も住み継げる家をつくるために、日本の気候風土に適した家づくりをすること。地震の多い日本で、合板や金物で固めて耐震する現代工法の家は、地震を数回経験してなお100年を乗り越えられるでしょうか。熊本地震では被災した3万5千棟は公費で解体されました。想像以上に影響が大きかった表層地盤の増幅率。地震を乗り越えた数少ない家は、揺れに強い家ではなく、壊れても直しやすい家でした。また、高温多湿の日本では、湿気や雨漏り、気密対策として防水シートやテープで家を覆うことが多いですが、地震時に破れたり経年劣化で水が流入する可能性もあります。
日本の気候風土で永く持つ家をつくるために必要なことは、災害の後でも直しやすく維持管理しやすいこと、雨が入っても乾きやすい構造、素材が空気に触れて呼吸できる構造であること。つまり構造即意匠の真壁が必要でした。
三つ目は、未来のための省エネな家づくり。それはつまり、①生産・建設 ②運用時 ③解体・処分のエネルギーがトータルで小さな家づくりです。現在は、電気やガスの使用量を減らすために、断熱材・サッシなどの建材や省エネ設備を導入し、電力をつくるために太陽光パネルを設置していますが、②運用時のエネルギー量を小さくすることが目的となってしまい、①生産・建設、③解体・処分または周辺の自然への影響が、軽視されているように感じます。自然を破壊してつくるソーラーや風車も同様で、今は②運用時の創出エネルギーが大きいので正しいように見えますが、いずれ逆転しその時には①も③も減らすことが求められます。
今すべきことは、①、②、③すべてを同時に小さくすることです。そのためには30年後ゴミになってしまう家ではなく、100年後に土に還る家をつくること。そして、太陽や風に頼り、土・木・草の調湿性や蓄熱性を生かし、地域の気候風土に寄り添った暮らしの工夫が必要でした。
土木の石場建て
2020年、ある一冊の本との出会いがきっかけで「家をつくることで自然を育てることができる」、そんな家づくりを目指すようになりました。その本は、髙田宏臣さんの著書『土中環境』(建築資料研究社、2020年)です。「石場建ての家」は、自然への負荷が小さいとはいえ、まだ自然を壊して家をつくっています。どうすれば持続可能で、そして自然の再生に繋がるのか。その答えは、建築ではなく、土木にありました。
「私の家」には、家より古い20坪ほどの坪庭があります。高木から低木までの多様な木々と杉苔の庭で、石積みの築山が1つと石組の大穴が3つ、飛び石がぐるりと回った庭です。祖父が毎日手入れをしていたこの庭は、屋根の雨水を石組の大穴がゴクゴクと飲み干し、樫のドングリが落ちればほぼ芽吹き、夏はこの庭に面した部屋はなぜか涼しく蚊も少ない。子供の頃から不思議な庭だと思っていましたが、『土中環境』を読んでその理由が分かりました。土も呼吸することで育っていく。土を育んでいるのは植物や虫など生き物たちで、人間はそのきっかけをつくることができます。この庭の木々は家の礎石の下に根を伸ばし、「私の家」は根の上に建っていました。昔の人たちがつくってきた「石場建ての家」は、自然を育んでいたことに気が付いたのです。
私は人間の行為は自然を壊していると考えていましたが、自然を育てる方法があることを知り、涙がでるほどの嬉しさでした。しかも、その要が「石場建ての家」の下にあったとは……。
土木の視点は、敷地内の土地だけではなく、周辺の地域にまで広がります。例えば、「石場建ての家」を構成する主な素材は、身近な自然の素材です。山で間伐や道づくりのために伐採した木を柱梁や家具、木杭などに利用します。田んぼでは米を育て、副産物の藁は縄や左官の素材や畳に使い、粘土は土壁に利用。竹林や茅場も維持することで、竹小舞や茅葺き屋根に使い、暮らしの道具にも利用します。
このような場所は里地里山と言われます。私は、自然の素材を使って家をつくることは、自然に何らかの負荷をかけていると考えていました。しかし本来の里地里山は、人間と生き物が共に暮らす場所です。人間が土地を傷めることなく正しく土地と関わることで、多様な自然環境が維持され、生物の多様性に繋がり、土地豊かにしてきたことを知りました。
ということは、建築の素材を生産することが、里地里山の再生に繋がる。「石場建ての家」をつくる時に壊した自然以上の自然を、素材の生産時に再生することができる。家づくりという人間の暮らしが虫や生き物たちと同じように自然を育み、次の世代の役に立つことができる。これ以上の喜びがあるでしょうか。
「石場建ての家」は、家を住み継ぐだけでなく、その地域も住み継いでいくことに繋がるのですね。
さいごに
私の建築の先生は「私の家」であり、100年前の職人達の仕事です。まだまだ学ぶことばかりですが、教えられたことを未来に繋げられるように、一軒でも多くの「石場建ての家」を残したいと思います。そして、かつてルドフスキーが優れた建築を見出したように、100年後の『建築家なしの建築』に紹介してもらえるような家を、素材の生産者と職人と建主と一緒につくっていきたいです。
2023年10月
みずのともひろ(水野設計室)
