10月末、小谷での茅刈り体験に参加した時に、現役の茅葺き集落に行ってきました。
車が通る道も無い為、一時間半歩きます。途中に集落の方とすれ違いながら、峠を二つ越えました。皆さんが担いでいるものは、集落の民家を修繕するための茅や縄です。
歩いてしか行けない集落と聞いていましたが、そんな場所へ行く事は初めての経験で、きっと綺麗な所に違いないとワクワクで行ってきました。
木の生い茂った細い山道を一時間半歩いて、集落に入った時の風景が下の写真です。
急に日当たりのよい開けた場所に出たと思ったら、畑が広がり、茅が干してありました。
板金を被ったものも含め数軒の茅葺き民家が集まり、周囲を山に囲まれた民家の周りには田畑や茅場が点在し、鶏と山羊と一緒に暮らしている集落でした。
昔の暮らしを知らない私ですが、80年前の戦前までは日本中の農村部ではこんな暮らしをしていたんだろうなと思える場所でした。
きっとこんな所を「かくれ里」と呼ぶのでしょうね。
色づいた山に囲まれた茅葺き民家、その辺りには風に揺れるススキ。
こんな綺麗な「里の秋」を見たのは、始めてです。
「町並み10年 風景100年 風土1000年」という言葉がありますが、風土という言葉を軽々しく使ってはいけませんね。
私たちの暮らす場所との違いは、周囲に見えるもの全てが生きていく暮らしの為に必要なものしかなく、無駄なものがない事。食料の為に必要な田畑であったり、家を作る・修繕する為に必要な木や茅場であったり。なにより建物を構成する素材が、家の隣で生きてる「木・土・草」で作られていることですよね。
さすがに必要なものをそぎ落としすぎているかもしれませんが・・・、アスファルトやコンクリートに覆われた地面、まっすぐの線で仕切られた敷地の境界に並ぶ人工的な工場製品、断熱材とビニールで身を包み様々な設備を埋め込まれた建物、防災や安全のための過剰すぎる擁壁やガードレース・フェンス・公共の設備。このようなものに溢れている私たちの暮らす場所は、風土はもちろん風景も未来に残すことはできず、ただただ自然に戻す方法を誰も知らないゴミの山を残すだけです。
千年も昔から続いた風土が、戦後たったの70年で、今の町並みに変わりました。
こんなに永い時間をかけて育った風土なのに、消える時はあっという間なんですね。
小谷屋根の松澤さんに茅葺のお話しをお聞きし、屋根の上で茅葺(差茅)の体験をさせて頂きました。ここでは、集落の住民の方々も、茅を育て、屋根に上がり茅葺を維持されていました。
茅の屋根を全面葺き替えるには、大量の茅と時間と人手が必要となる為、部分的に補修しながら維持することが一般的とのことです。
この時代に、茅葺民家の再生は本当に出来るのか不安でしたが、まだまだいけますよ!
自分たちで家を建てたり・修繕する事、また家を作る素材まで自分たちで生産する事。
伝統工法の特徴は、地域ごとに入手しやすい素材を使い、維持管理がしやすい造りである為に、永く持たせることができる事です。
でも、もっと大切な事はその家に暮らす人も家の手入れができる造りや素材である事なのかもしれませんね。
この美しい集落が永く維持されていく事を心から願います。
時代には逆らえませんが、私も一軒づつ民家の仕事を続けていきます。