久しぶりに仕事以外の話。
先日山梨に行ってきました。
今年の1月から参加している「未来の暮らし研究所|四井家オンラインサロン」の合宿で、四井さんの暮らしを見学させて頂きました。
始めに
こちらが四井家。
雑木の庭と石積み、畑と果樹、コンポストトイレ、堆肥小屋、温室、作業小屋、ミツバチ、薪ストーブ、竈、雨水利用、バイオジオフィルター、傾斜土層、ウッドボイラー、鶏と山羊、バクホテル、ハーブの蒸留水・・・。家は瓦ぶきの真壁ですね。
私が30歳の頃に、みんながこんなような暮らしをすれば、環境負荷を抑えられるのになぁと思っていた事を思い出しました。ただ、そんな世界が来るとは思っていませんが、やれる人はやっている。私も私にできる範囲で実践しようと思い、会社を辞めて岐阜の実家に戻ったんでした。
実家に戻って、設計の仕事を始める前の2年間ぐらいは、田んぼや畑や果樹と鶏、民家の整理や小屋づくりなど、一応理想を持ちながら子供たちと遊びながらやっていましたが・・・、
当時は、どうも意志が弱かったようで、周りの環境のせいにしながら、言い訳をしては、現実の波にのまれてしまいました(笑
10年間、細々と田んぼを続けながら、自然とわずかに繋がった暮らしは続けてきましたが、いつかもっと楽しんでやり切りたいなと思っていました。
やりたい事をいつかやろうと後回しにしている間に40歳も過ぎて、娘たちは高校生と中学生、下の息子はもう小学5年生、あっという間に子育ても7回裏まで来てしまった感じです(涙
残すは8回裏と9回裏・・・。
というわけで、このBlogで自然と繋がった暮らしの再開決意表明です。
毎月「水野家の暮らし カテゴリー」で報告していきます。
これで、退路は無くなりました。うんうん、がんばろう。
というわけで再開するにあたり、まずは10年前につまずいた悩みの整理です。
悩みは2つありました。
1つ目の悩み 自然に対し、どう手を入れれば良いか?
まず最初の悩みは、1年目は何とも思わなかったですが、2年目にふと思った事です。
自然を目の前にして、どのように手を入れるのが、自然にとって良い事なのか本当に解からなかった。
木を植える場所や庭の配置、野菜の畝から畑の配置、人や車の動線から駐車場の配置、雨水や給排水のルートと浸透場所、家を改修や増築する際の基礎の工事方法、そもそも敷地全体をどう考えていくのか。
当時は、考えてやるものの、結果はしっくりきませんでした。正解も解らないので、何を間違えているかも解らない。唯一良かった事は、コンクリートやモルタルだけには頼らなかった事ですね。
この悩みは、2020年に土中環境という本からヒントを頂き、解決策が見えてきました。
それ以降、2022年坂田さんに出会うまでの2年間、毎月のように何処かの誰かの環境改善のWSや講習会に行って学びました。そこで、今西さんや、高田さんや、矢野さんから、今まで見えていなかった土の中の事を教えて頂いた。自分のフィールドでも、たくさんの失敗と少しの成功から、少しづつ見えない土の中が見えるようになってきた2022年でした。
そんな土中環境にどっぷり浸かっていた2022年に、御嶽で坂田さんに出会いました。坂田さんは、生物多様性をテーマに活動されている方で、何でも知ってて何でもやっちゃう方です。
高尾山で、初めて坂田さんのネイチャーガイドを聞いた時に、自然界は解からない事だらけ。私も知らなかった事や間違えて覚えていた事の多さに、驚きと楽しさを感じました。
土中環境の視点と生物多様性の視点を磨けば、もっと土地の事を良く見えるようになる。そう思うとワクワクして、すぐに坂田さんの生物多様性の教室 坂田の杜 に入りました。今は 虔十の会 と コモンフォレスト で、毎月楽しくお勉強です。
坂田さんのお話は、一度Blogで整理するとして、ここでは一番印象に残っている話を一つ。
それは、自然界が良い方向に向かっているかの尺度の一つが生物の多様性にあるという事。
私は、人間の暮らしは生物多様性にプラスに働くことなどないと思っていたけれど、それは人間の暮らしが生物多様性の輪の中にいないから。人間の暮らしが生物多様性の輪の一つのピースなれば、プラスになる。
その状態が、本来の里山。
人間が暮らす事で、生物が多様化する世界。
人間が食べる為に必要な作物を作り続けられる場、人間が家を作る為に必要な素材を生産し続ける場、人間が暮らして行く為に必要な持続可能な自然、それが里山。
坂田さんのこの話を聞いて一つ思い出したことがある。それは以前矢野さんがおっしゃっていた事で、「今は江戸時代よりも人口は4倍にもなり便利な道具も増えたのに、山が荒れている。昔はどのように野や山を維持していたと思う?」という問い。
2つ目の悩み どうすれば、自然と暮らしが繋がるか?
ここで最初の悩みの2つ目。
暮らしと自然が切り離されていては、持続可能ではない。
つまり、自然を守るためにお金がかかるようでは、持続可能ではない。
では、どうしたいかというと、、
暮らしと自然が繋がり、暮らしているだけで生物が多様化し、自然が豊かになっていく状態。
出来れば、お金の為の仕事も、自然と繋がりたい。
さっきの矢野さんの問の解は、「野や山は、人の暮らしの糧だったから」だと思った。
では、この時代でもできる暮らしとは、一体なんだろう。
言葉や理想では無く、実際の暮らしを見てみたい。
この悩みも、四井さんの暮らしからヒントをもらい、解決策が見えてきました。
四井さんは、まさに自然と繋がった暮らしを、試行錯誤されながら実践されている方です。
世の中には知られていない事・間違っている事がたくさんあるという前提で、自然を見て考えて動いているようで、とても勉強になります。
先日初めてお話ししましたが、誰よりも暮らしを楽しんでいてカッコいい人でしたよ。
終わり
暮らしの価値を数値的に示す事は難しいですが、現在の持続可能が上手く行く訳がない理由は、全てのジャンルにおいてこの数値で表せない部分にあると感じます。
お金の量は、ただで自然を奪った量に比例する傾向にある。今の動きは、自然を壊して得たお金の10を使って、自然の為にと思い活動し、残念ながら5の自然を壊している。でも、お金を使った人は評価される。でも、得る時も使う時も自然を壊している。
山で自然と繋がった暮らしを通して、自然を豊かにしている人たちは評価はされない。
この状況は、昔の人たちや動物・虫・植物の目には、滑稽に映っている事でしょう。現在は、信じられないような非効率な世界を進んでいるようです。
もちろん私もその一部なのですが、そんな中でも、これから私の仕事の線上でやりたい事は、自然を豊かにする家と暮らしです。
その為には、まず自分の暮らしを出来る限り豊かにする事。
ルールは1つ、暮らしを楽しむ事。
この3年間で成長したはずなので、13年前と違い今回は上手くいく気がしますよ。